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教育現場はどうなってる。

受験シーズンを前に飛び出してきた「世界史」履修問題。
これは一体どこに責任があるのだろうか?

生徒は関係ない。カリキュラムを組んだ学校の責任だ。
問題はじゃ何故そういうカリキュラムを組んだかだ。

いい大学に生徒を入れたい(そうして学校の知名度をあげたい)
という声もあったし、
週休二日になって時間割が厳しくなり、どうしても受験科目
優先になってしまったという声もあった。

まぁ、客観的に見れば前者が学校の目的で後者がそれを
達成するための方法だったんだということだな。
つまりいい大学に1人でも多く生徒を入れることが、高校にとって
使命であると考えていたってことだね。

でも、いい大学を出ること=人生の成功者 という考え方が
日本にはびこっているうえに、それがかなりの人に当てはまる現実だと
いう事実がある以上、今の高校が大学受験の為の教育機関であるという
地位を捨てられないのは俺は当然だと思うんだ。

俺は日本の大学についても卒業したという事実だけが
重要視されるだけでそこで何を学んだかはあまり重要視されない
大学の存在意義についての世間の意識にも問題があると思っている。

さて、問題は日本のいい大学を出ること=人生の成功者という概念だ。
ここでの注目は人生の成功者っていう部分だ。
日本の人生の成功者って一流企業に就職する、官僚になるという意味だが、
ここがアメリカと違うところなんだなぁ。
アメリカでいい大学に入った学生はみんな起業をしたいと考えている。
大学在学中に自分がやりたい仕事を真剣に考え、起業することを前提として
競争力のある会社にするには何が必要か、そしてそれには何を学ぶか、
目的意識をもって勉強している。
アメリカでの人生の成功者は自分が起業し会社がうまくいくことだ。

ところが日本は一流企業に就職する、官僚になるという、
詰まるところ、使用人しか目指していないわけ。
金銭的に安定した使用人を目指してるだけなわけ。

こうした受身の人間にとって、一流大学のブランド名こそ
自分を表現する唯一の道具であり、自分の価値を示すものに
なっているんだろう。

そして採用側も客観的にその人物を評価するひとつのものさしとして
出身大学をみるのであって、その大学のレベルにより
その人のレベルを量ろうとするのは当然だとも思う。

日本においていい大学を出ること=人生の成功者
という概念が崩れないと今回の問題の根底にあるものは解決しそうにない。
まぁ、難しいことだとは思うけど。
安定した使用人の人生を選択するより、起業したいって人が増えたら、
この問題の解決のひとつの糸口にはなるかもしれないな。
そういう世の中になるとは思わないけどな。。

余談だけど、世界史を知らないでも生きては行けるだろうが、
この国際化の時代にそれで済まされるんだろうか・・・。
世界の歴史に日本の歴史も連動して今があるんだから、
やはりスルーしちゃいかんでしょっていうのが、
短いけれど俺の思ったこと。
書き出すとキリがないから、今日はこれでおしまいだよ。
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