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テンプレート春Ver.


桜の開花宣言がちらほらと出始めています。
なので、このブログのテンプレートも春Ver.に変更しました。

母の逝去等、つらい冬を乗り越えて春がやってきました。
明るい記事が綴れることを祈りながらのテンプレート変更です。

今後も思いつくまま、だらだらと書いていきますので
よろしくお願い申し上げます。

ついでながら、今の自分の『旬』は特にありませんです・・w
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膵臓癌と母 最終章


今日は5年前に膵臓癌がみつかり
闘病生活をしてきた母について書きます。

このブログで時折、母の闘病生活については
書いてきました。

2012.11月に呉共済病院にて、東大におられた
中村教授が提唱するペプチド治療の治験に申し込み、
各種の検査の結果、治験に適合し治療を受けておりました。
この治療は大変母には効果がありましたが、
2013.12月にこのペプチド治療が、大多数の人に対して
効果が認められず、治験が中止となりました。

この治験の中止は大きな痛手となりました。
結果的に序々に癌細胞が再び活動を始め、
母の体調はじわじわと悪化し始めました。
肺にも夏あたりには転移が認められ、
秋には体力が落ちてきました。

これはどうにかしないといけないと考え、 
11月頃に大野・キーフ法を試してみました。
翌年2015年1月の頭まで、計6回の投薬を受けました。
母は免疫に対する抗体の数値がもともと高いので、
それを抑制する薬を入れないといけないとか、
終盤になってそういうことを言い始め、
データの数値は治療前から分かっていたのに、
最初からそういう処置をしなかったのか、
かなり不信感のある治療でした。
はっきり言えば母には全然効果がありませんでした。

その後、ずるずると体調は悪化を続け、
胃が詰まると言い出したので、地元の病院でCTを
撮ってみたところ、胃の出口のあたりが、
潰瘍のようなものでふさがっていました。
慌てて1月中旬あたりに川碕医科大学付属病院に入院。
胃の出口のあたりにステントを入れて、食物が通るようにし、
点滴と抗癌剤の治療を受け始めました。
しかしステントを入れたものの、食はかなり細くなっていました。

1月の末あたりに医師から、母の寿命はもう月単位であり、
少しでも元気なうちに自宅に連れて帰ってあげた方が
いいという話があり、抗癌剤治療は通院ですることにして、
2月の中旬に自宅に連れて帰りました。
しかし、食事が全然取れなくなっていたので、
地元の病院に入院し、点滴と抗癌剤治療を始めました。

その後母はどんどん体力が落ち、3月5日の夜から
痛みを感じ、モルヒネ投与が始まりました。
医師との相談の上、患者を苦しませるだけの延命治療は
しないことにしました。

モルヒネを打つと呼吸が弱くなります。
モルヒネ投与開始から二日目の03月07日の
午後12時50分頃、母は眠るように逝きました。
享年74歳。

5年にわたる厳しい闘病生活からやっと解放されたのです。
私としても、いままでの治療生活の大変さを思えば、
悲しくはありましたが、やっと母は楽になれたとも思えました。

この5年、母は常に前向きに生きました。
どんな状況に於いても治るという気持ちを強く持ち、
闘病生活を送りました。
迫り来る死の恐怖に対して、取り乱しもせず、凜として
立ち向かった母の姿に、私は人生の貫き方を
教えてもらった気がします。

生い立ちも、育ち方も、結婚生活も、あまり幸せな人では
ありませんでした。
しかし、苦労を重ねて精神力の強さを身につけ、
人を思いやる気持ちを持ち、決して悪い方向に自分を
向けず、正直にまっすぐに生きた母でした。

お母さん、本当にありがとう。
あなたは本当に素晴らしい人でした。
つらいとき、苦しいとき、あなたの闘病生活を思い出し、
私も勇気を持って、何事にも立ち向かおうと思います。
本当にお世話になりました。
安らかにお眠りください。
大好きだったお父さんにやっと会えましたか?
あの世で安らかに幸せに過ごしていてください。
私もあなたを手本に現世を精一杯生きます。
そしてまたあの世であなたに会うことを楽しみに
頑張っていきます。

お母さん、本当にお世話になりました。

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